●学問と引き出し

 先日、20年ぶりくらいでしょうか、置き引きにあいました。20年ぶりくらいといいましても、それはインドに旅行したときのことで、日本国内だけで考えると、たぶん生まれて初めての経験だろうと思います。

 被害額はそれほどたいしたものではなかったのが不幸中の幸いでしたが、この経験から一つ良いことを学ばせて頂きました。

 それは学問とは引き出しのようなものであり、学問をしておけばおくほど、いざというとき役に立つということです。

 置き引きにあったのは黒いカバンでした。新しいカバンを買おうかどうしようか迷っていたのですが、ふと、10年くらい前に友人からプレゼントとして貰ったカバンが押し入れの中に眠っていることを思い出しました。

 プレゼントされたときは、「カバンは持っているから使う予定はないだろう。しかも私は物持ちがいいから、カバンなんかたぶんずっと使うことはないだろう」と思っていました。

 置き引きにさえ遭わなければ、私のその予想も当たっていたと思うのですが、いざ、置き引きにあってみると、これほど有り難いことはなかったのです。なにしろ、カバンを買いに行く時間や労力が節約できただけでなく、お金も節約できたのですから。

 私は、この経験から、ふと学問の有用性に思いをはせたのです。

 学問はほとんどの分野において、勉強したことがすぐに直接役に立つということはありません。

 私の勉強してきた学問でも、言語学や哲学などはその筆頭で、直接お金儲けに役立つわけではありませんし、職場で役立つということもありません。

 しかし、勉強したことというのは、私が押し入れの中に入れていたカバンのようなもので、ずっと頭の片隅に残っているのですね。

 その、頭の片隅に残っている、というのが大切なんだと思います。

 というのも、いざというときに、役だってくれるからです。そして、そのいざというときに役立つ知識を持っているか持っていないかが長い目で見れば、けっこう大きな差になって現れるのではないかと思うわけです。

 「学問なんかやっても何にも意味がない」という人もいますが、それは、いざというときにこれを知っていて良かったと思える体験をまだしていないということに過ぎないように思えるのです。

 今回の事件を通して、学問とは一見、無駄なようなことをしているようでも、実は、引き出しにたくさん将来役立ちそうなことを貯める作業であり、けっして無駄なことをしているわけではない、と分かったわけです。