●名誉、権力、金銭より大切なもの

 大昔の話である。当時の私は1冊しか本を出したことがなく、次々と本が出せる状況ではなかったので、一時期、医師のゴーストライターをしていたことがある。

 その医師は、当時でさえ、名誉欲、権力欲、金銭欲のかたまりのような人だった。

 とにかく、いかに自分が偉大であるかをこれでもか、これでもかと誇示したがるのである。

 しかも、彼の偉業というのも、その大半は、他人の力を借りて獲得したものであったり、金の力で獲得したものであった。

 ただそれだけならまだしも、自分以外の人間がいかに愚かであるかをこれでもか、これでもかと見下すのである。

 彼の口から放たれる言葉のほとんどは、いかに自分が偉大かという話といかに自分以外の人間がバカかという話だった。

 私は、やがて私も見下されるようなことを言われるようになるのだろうな、と覚悟していた。

 1か月、2か月と経つうち、その兆候が表れ始めた。

 最初は私のことを「宮崎先生」と呼んでいたが、1か月経つ頃には「宮崎さん」に変わり、やがて「宮崎君」になり、最後には「宮崎」となった。

 最初は私を褒めていたが、徐々に小馬鹿にするようなことを言い始めた。

 「社交性がない」とか「あなたには営業はできない」とか「オタク」だとか「なんで結婚できないんだ」とか「あなたみたいなのが作家として食べていくって言っているけど、食べていけんでしょう」とか。

 その程度のことなら我慢もしていたが、だんだん、私を「ひとりの人間」としてではなく、自分の名誉欲を達成するための「道具」として使うようになってきた。これには耐えられなくなった。

 私はゴーストライターとして応募して採用されたのだ。

 なのに私は海外への電話係をさせられたり、電話番をさせられたり、挙句の果てには引っ越しをしろと命じられたり、何も打ち合わせもしないのにいきなり呼び出されて泊りがけで執筆を頼まれたり、深夜12時に電話かけてきたり、深夜4時にファミレスで打ち合わせをすると言い出したり…。

 私の都合とか人間性をまったく無視したような感じになっていった。その度がひどくなっていった。

 そういうことがたびたび重なり、また彼が彼を取り巻く人々を毎日罵倒する日々が続いたため、私はゴーストライターをやめることにした。

 いくらお金がもらえるといっても、毎日バカにされてまで彼の「道具」にはなりたくなかったのだ。

 彼が名誉欲、権力欲、金銭欲をもっているだけならまだ許せるが、私のことをこれでもかこれでもかと見下し、私の都合を完全に無視して「道具」のように使うのは辟易した。

 さて、あれから20年経った。

 今、彼はさらに「偉大」になった。ものすごい業績を積み重ねた。世界的権威だという人もいる。

 20年近く前でも、相当自信家だったのであるから、今の彼はさぞかし自分のことを偉いと思っているだろう。当時でも自分以外の人間がいかにバカであるか、これでもか、これでもかと見下すようなことを言っていたのであるから、今の彼の目には、自分以外の人間は大馬鹿ものにしか見えないだろう。

 そんな彼だが、先日、複数人の患者から訴えられていた。新聞に載っていた。

 詳しいことは分からないが、まあ、訴えられたということは、訴えられるようなことをやったということには間違いがない。だから訴えられているわけであるから…。

 権力欲、名誉欲、金銭欲といったものよりも、もっと大切なものがあるのではないかと思う。そんなものは、そもそも、最初から求めるべきものではないのだ。誠実に生きた結果、あとからついてくるものだし、そうあるべきだと思う。

 では、もっと大切なものとは何か?

 それは愛である。隣人愛である。他人をひとりの人間として認め、大切にすることである。それには傲慢にならないことがどうしても必要である。なぜなら傲慢な人間は、自分と他人との間に壁を作りがちだから、隣人愛が実践しにくくなるからである。