●自己基準をもつ

 あるラジオの人生相談の番組で、登校拒否の中学生の息子を持つ母親がこう訴えていました。

「クビに縄をかけてでも学校に連れて行かなければと思っている。中学も出てなければ、一生、困りますから…」

 ただ、強制的に行かせようとしても、行かないものは行かないのです。
 仮に強制的に学校に行かせることに成功したとしても、息子がなぜ行きたがらないかその根本の原因を解決しなければ、何の解決にもなりません。

 この問題に対し、回答者は次のように答えていました。

「無理矢理学校に行かせる必要はありません。そんなことをするより、まず、学校に行かないのなら行かないで、家でやるべきことを毎日きちんとやるように指導すべきです」

 私たちは、とかく「外部基準」で人を判断しようとします。

 普通に学校に行っていれば安心だが、登校拒否をするようでは問題がある。
 遊び友達が多ければ安心だが、友達が一人もいないようでは問題がある…。

 しかし、なぜ「外部基準」でばかり人を判断しようとするのでしょうか。

 それは単に「自己基準」がないからにすぎません。

 たしかに「外部基準」は「外部基準」で必要です。
 しかし、「自己基準」がない人が「外部基準」だけで人を判断するとおかしなことになります。
 一糸まとわぬ裸の王様であっても、みんなが「服を着ている」と言えば、自分も「服を着ている」としか言えなくなるのです。
 ただ、みんなの目が間違っていて、自分の目だけが正しいということだってあるのです。
 先の例で言えば、「普通に学校に行くこと」が間違っていて、「自宅に閉じこもっていること」がその子にとって「正解」ということだってありうるのです。

 「外部基準」でばかり自分を計ろうとしていれば、いつまでたっても本当の自信は生まれません。
 なぜなら、自分の信じることが「外部基準」に合わないことも往々にしてあるからです。
 自信をもって生きるには、いったんは「外部基準」で判断するのをやめてみることから出発することです。

 まずは、自分の信じる道を突き進んでみましょう。
 その上で「外部基準」を参考にすればいいのです。「外部基準」を絶対視する必要などないのです。