●状況によっては杓子定規に考えるのを止める

 倫理学の用語に「原則倫理」と「状況倫理」という言葉があります。

 「原則倫理」とは、例外を一切認めない倫理のことです。
 絶対にウソはついてはならない、絶対に人を殺してはならない、絶対に中絶をしてはならない…。
 こういった、一切の例外を認めないという、非常に厳格な倫理観のことをいいます。

 マザー・テレサは原則倫理を貫き通した人でした。

 彼女は中絶反対を訴えるために来日したことがありますが、そのときもインタビューアーのどんな質問に対しても、「中絶は絶対にいけないことだ」と言い返しました。たとえどんな状況であれ、一切の例外も認めなかったのです。

 これに対して「状況倫理」とは、例外を認める倫理観のことです。
 原則は原則で守らなければなりませんが、「やむをえない場合」は例外的に原則を破ってもよいとする倫理観です。

 これを行った一人に杉原千畝がいます。

 外交官であった彼は、ヒトラー率いるナチスドイツに捕まえられようとしていた約6000人のユダヤ人を亡命させるため、外務省の命令に背いてまで彼らにビザを発給しました。

 日本政府の立場からすれば、お金も十分に持たない大勢のユダヤ人を国内に入国させることは望ましいことではなく、ビザの発給を許可できなかったのです。
 
 しかし、杉原千畝は、自分がビザを発給しなければ、彼らは間違いなくナチスに惨殺されることになると判断し、外務省の命令に背いてまでビザを発給したのでした。
 そのため、後に彼は外務省をクビになりますが、彼が発給したビザのおかげで約6000人のユダヤ人の命が助かったのです。

 原則倫理を貫き通す人は、あまりに多くの人が原則を安易に破ることに歯止めをかけたいと願っているのでしょう。
 もちろん、安易に原則を破ることを自分に許していては、原則などあってないようなものになってしまいますから、極力、原則倫理で生きるべきです。

 ただ、あまり杓子定規に人生を考えるのも逆効果になる場合もあります。
 真にやむをえないときは、例外的にその原則を破ることもまた一つの勇気であることを覚えておきましょう。