●運命のいたずらを嘆かない

 本人は何の原因も作っていないのに、ちょっとした「運命のいたずら」で不運に見舞われるということがあります。

 自然現象が原因の場合もあります。例えば、地震、津波、雷雨などの天災などの被害を受けるというのが最たる例でしょう。

 あるいは、本来は外野フライにしかすぎなかったのに突風がふいてホームランになり、敗戦投手になってしまったというのも、これに入ります。

 他人が原因の場合もあります。重要な書類を郵送したはずだったものが、怠惰な郵便局員が捨ててしまうという事故もたまに起きるようですが、これも手紙を出した本人には何の落ち度もないことです。

 あるいは、安全運転していても、いきなり後方から酔っぱらい運転をしてきた自動車に追突されて重傷を負う、ということもあるでしょう。

 「運命のいたずら」の例をあげれば切りはありません。小さな「運命のいたずら」まで含めれば、延々と例をあげることができるでしょう。

 私たちにとって大切なことは、「運命のいたずら」によって不運に見舞われたとき、それをどう解釈し、どう反応するかです。

「いくら真面目に生きていたってこんなひどい目に遭うのなら、努力すること自体馬鹿らしい。もう真面目に生きるのはやめた」

 そういって自暴自棄になってしまうと、ますます不幸になるだけです。

 幸福になるための努力を自ら放棄するのですから、当然、幸福という「結果」が出る可能性はますます少なくなります。

 本当に幸せを掴みたいのなら、どんなひどい「運命のいたずら」が起きても、それを嘆かず、常に前進を続けることです。

 所詮、この世は「仮の住まい」にしかすぎません。この世で起きていることがすべて真実ではなく、間違いも往々にして起きているのです。それを未来の不幸の原因にするのではなく、たとえ何が起ころうとも、前進するのをやめないことです。

 前進し続けていれば、いずれ「結果」は出ます。たとえ「間違いが起こりうるこの世」であっても、間違いしか起こらないわけではなく、むしろ間違いが起きる可能性は低いのです。それを信じて前進し続けることです。