●「目に見える目標」にこだわるのを止める

 プラトンは「より善い人間になること」を人生の目標にすることを説きました。

 彼は、善、徳、節制、美などの「目に見えないもの」を目標に掲げて生きよと言ったわけです。

 しかし、それでは具体的に何をすればいいのかが分からないことがあります。なぜなら、何をすることが「より善い人間になること」なのかがいつも明確とは限らないからです。なんとなくは分かっても、場合によっては、「これをすべきだ」という明確な指針が得られないことがあります。

 そこで、これに代わって現れたのが世俗化した人生論でした。善とか徳といった「目に見えないもの」を求めて生きるのではなく、「目に見えるもの」を求めて「結果」を出すことに注目したというわけです。

 そのような世俗化した人生論なら、どんな場合でも、何をすべきかが明確になります。

 それはすなわち「目に見える結果」を出すことです。

 「目に見える結果」が出せればよくて、出せなければダメだというわけです。

 「目に見える結果」を出すことを目標とすること自体は問題はありません。ただ、気をつけなければならないのは、「目に見える目標」にこだわりすぎると問題が生じやすいということです。

 「目に見える目標」は、人により様々です。試験に合格すること、売上げを上げること、お金を稼ぐこと、人より早く昇進すること…。

 しかし、こうした「目に見える目標」にこだわればこだわるほど、「目に見える結果」さえ出せばいいというふうに思いがちになります。その結果、「目に見えない目標」がないがしろにされやすくなるのです。

 例えば、「試験に合格する」という「目に見える目標」ことにこだわりすぎると、「真理を追究すること」という学問本来の目標を見失いやすくなります。いきおい、合格したとたんにピタリと勉強を止める、というおかしなことをするようになるのです。でも、それでは学問をしたことにはなりません。

 「目に見える目標」を掲げて努力すること自体は悪いことではありません。ですから、それはそれで頑張ればいいのです。しかし、こだわるのはやめることです。そして、もっと大切な「目に見えない目標」があることも忘れないようにしましょう。

 本当は「目に見えない目標」のほうが遙かに重要なのです。