なぜ出版が中止になることがあるのか 

 「この本をすべて翻訳したあかつきには、私の名前で翻訳書が出るし、初版印税も入ってくる。もしも増刷にでもなれば、さらに増刷分の印税が入ってくる」

 出版契約をもとに翻訳を依頼された翻訳家は、こういう思いで翻訳作業にとりかかるのが普通でしょう。つまり、翻訳家は翻訳の仕事を引き受けるときに、@自分の名前で本が出ることA初版印税が貰えることの2つを当然のこととして期待し、B増刷された場合には増刷分の印税が貰えることを可能性として期待します。

 しかし、せっかく莫大な時間と労力をかけて翻訳しおえても、出版社側の都合で出版が中止になることがあるのです。とても残念な話ですが、そういうことも稀にあります。しかも、もっと残念なことは、出版社の編集者の中には、翻訳家が期待している上記3つのうち、初版印税を払うことだけが翻訳家の期待に応えることだと勘違いしている人がいることです。そのような編集者は、本を出すか出さないかは自分たちの自由だとでも思っているかのようです。それは翻訳書が出版中止になったときにその人の言動から分かります。

 ただし、出版契約を結んでいる場合は(出版契約書がなくても、口頭でも出版することに関して合意があれば出版契約を結んだことになります)、「翻訳原稿を製本し頒布すること」も出版社側の債務ですから、初版印税を支払っただけでは、すべての債務を履行したことにはなりません。ですから、万が一、出版社側の都合で出版を中止にされるようなことがあったら、「翻訳原稿を製本し頒布すること」という債務が不履行になっている点について責任を取ってもらうことです。

 さて、では、いったんは出版すると決定していたはずの翻訳書が、すべてを翻訳した後になってから出版社側の都合で出版中止になることがあるのでしょうか? 

(1)あまり売れそうな本ではないと判断された場合
 ほとんどの出版社が第一に考えていることは売れる本を作ることです。俗な言い方をすれば金儲けです。翻訳した原稿をもとに本を作っても売れそうな本にならないと判断されれば、出版社としては本にしたくはないのです。翻訳家からすれば、「売れそうだからという理由で私に翻訳を依頼しておきながら、翻訳がすべて終わった段階でそんなことを言い出すなよ。そんなことなら、なぜ英文の段階できちんと吟味しておかなかったんだよ?」と言いたくなるでしょうが、編集者の中で英文が読める人がほとんどいないのが現状です。したがって彼らが「売れそうだ」と判断したのは、その原著を(英文で)読んだからではなく、その原著の国での評判をもとにしていることが多いのです。

(2)編集者が期待していた内容とは異なっていた場合

 (1)のケースと似ていますが、これも出版が中止になる原因の一つです。翻訳家からすれば、「内容がいいからという理由で私に翻訳を依頼しておきながら、翻訳がすべて終わった段階でそんなことを言い出すなよ。そんなことなら、なぜ英文の段階できちんと吟味しておかなかったんだよ?」と言いたくなるでしょうが、これもやはり(1)と同じ理由で発生します。

(3)出版社側と原著者側の交渉が決裂した場合
 出版翻訳の場合、利害関係者は大別して3者あります。それは(1)原著者側、(2)出版社側、(3)翻訳者側です。通常、原著を翻訳して出版するということになると、まず出版社側が原著者側と交渉して日本語翻訳権を取得します。もちろん、これにはお金が絡んできます。そして出版社側が首尾良く日本語翻訳権を取得すれば、その段階で翻訳者に翻訳を依頼します。そのとき翻訳家は、出版社側の「日本語翻訳権が取得できた」という言葉を信じて翻訳を開始するわけですが、翻訳をすべて終えた頃になってから、出版社側が原著者側と権利関係でもめることがあるのです。
そうなると、翻訳家に何の落ち度もないのに、翻訳書が出版できなくなるということになります。

(4)その他の出版社側の理由
  その他にも出版社側の理由で出版が中止になることもあります。社の方針が変わった、会社が倒産した、出版事業部がなくなったなどなど…。
 出版が中止になるということは、けっして多いわけではありませんが、かといって、けっして稀なことともいえないくらいの頻度で起こります。これから出版翻訳を手がけてみたいと思っている方は、自分には関係ないことだなどと思わないで、上記(1)〜(4)のトラブルに巻き込まれないか否かも頭に入れながら行動されるといいでしょう。
 出版社があまりにも性急に仕事を進めたがっているときなどは、特に(1)(2)の理由で出版が中止にされることがなさそうかどうか様子をうかがいながら交渉を進めたほうがいいでしょう。