訳者によって訳文がこんなに違う(1)
 
 
同じ英文を訳す場合、内容自体は変わりはありませんが、ときとして訳文に大きな違いが生じることがあります。

 以下はその例です。いずれも出版されたものですので、それなりに実力のある翻訳者が訳しています。ちなみに、宮崎訳というのが私の訳です。

 これで同じ英文でも訳者が違えば訳文も違うことがお分かりいただけると思います。

例1  
「相似の善徳に居るものが各々集まって一団をなし、」(S氏訳)
「類似した善にいる者たちは一つの社会を形作っている」(Y氏訳)
「同じ活動に従事する天使たちは同じ村に暮らしています」(宮崎訳)

例2
「天人間で同気相求め、同類相集まる状態は自然の摂理で、相似たものと共に住むのは己と同居し、己が家郷に住むようなものであるが、相似ないものと一緒に居るのは外人と同居し或いは異郷に住むようなうなものである。また相似たものと共にあるものは己が自由を得たときで、従って最もその生活の楽しい時である」(S氏訳)
「似た者はその似た者にいわば自発的に引きよせられている。なぜなら彼らは彼らに似た者とは、彼ら自身の者と共にいるように、また家庭にいるようにも感じるが、他の者とは見知らぬ者と共にいるように、また外にいるようにも感じるからである。彼らはまたその似た者と共にいるときは、自由をもち、かくて生命の凡ゆる楽しさを感じるのである」(Y氏訳)
「似た者どうしはお互い引き寄せられます。なぜなら似た者と一緒にいるときは身内と一緒にいるようにくつろげますが、似ていない者と一緒にいるときは見ず知らずの者といるようで落ち着かないからです。似た者と一緒にいるときは自由が感じられ、生命のあらゆる楽しみが得られます」(宮崎訳)

例3
「天界の建築は美術そのものと思うばかりで、その光彩や形態の美麗さは全く呆然自失たらざるを得ない。しかし考えて見れば、それは不思議なことではなく、この美術なるものが実に天界から来たものだからである」(S氏訳)
「これが天界の建築であって、技術はそこではその技術そのままに存在していると言ってもよいものであり、その技術はそれ自身天界から来ているため、驚くには当たらないのである」(Y氏訳)
「これこそが天界の建築であり、まさに建築芸術の神髄と言えます。芸術は、それ自体、天界から生まれるのですから、それも不思議はありません」(宮崎訳)