英語の実力は、直線的ではなく、螺旋状に伸びる!

私のTOIECの点数の伸びを紹介します。
英語は長く続けてさえいれば、だれでも伸びます。その実例が私です。
純国産の私がどのように900点を突破したかを自伝的に順次公開! 
こうご期待!

 続きは、近日発表! さて、1987年1月の受験では何点になったでしょうか?

1985年1月
私は青山学院大学3年生であった。高校のときは英語が得意だったが、大学に入ってからは受験勉強から解放された喜びで、ずっと勉強しないままだった。もちろん、留学すらしていない。力試しのつもりで受けてみたら、520点であった。クラスメートにはアメリカに短期留学した人もいたが、450点とか言っていたので、自分でもまあまあの点数だと思っていた。

1985年5月
私は大学3年の春休みに生まれて初めて海外旅行に出かけた。渡航先はインド。インドにあこがれていたのである。3週間の間、英語だけで生活してみた。それがいい訓練になったのだと思う。また、「英語をもっと本格的に勉強しよう」という刺激にもなった。おかげか、520点だったものが、一気に655点と急上昇した。

1985年9月
520点→655点ときたら、次は700点を狙いたくなるもの。しかし、試験前夜に、知り合いの33歳の女性から電話で人生相談を受けることになった。「5分いいですか?聞いてもらえます?」で始まった人生相談。ところが、5分どころか、人生相談は5〜6時間も続いた。切ろう、切ろう、と思っても、次々と悩みを話しかけられて、切るタイミングが取れなかったためだ。今の私なら、切るくらいの要領の良さというか、自尊心というかを持ち合わせていると思うが、当時は、女性の人生相談を「明日テストなんで〜」なんて無碍に切ってしまうことができなかったのである。当然、寝不足がたたって、リスニングが急落。しかし、寝不足がこんなにモロに点数に跳ね返る試験だなんて思ってもいなかった。しかし、555点とは大ショックだった。

1986年1月
4度目の挑戦である。今度は勿論、しっかりと睡眠をとってから受けたわけである。そのおかげでリスニングが急上昇したのである。合計で685点。つまり、大学卒業時点での私の最高の成績がこれである。英会話学校にも通わず、英語圏への留学もせず、まさに独学で取った点数であり、自分としてはまうずまずだと思っていたわけである。

1986年5月
5度目の挑戦である。私はすでに社会人1年生になっていた。英語が使える仕事がしたかったのだが、それが叶わず、英語とは無縁の仕事に就いた。だが、TOEICで高得点を出して早く転職したかった。4回目が685点だったので、少なくとも700点を狙っていたのだが、寝不足がたたって615点。これで「寝不足はTOEICの敵」ということを思い知らされた。