●私と慶應通信

 私が慶應通信に入学しようと思い立ったのは、年齢でいえば41歳、金沢工大大学院在学中のことでした。
 前々から心理学か哲学の勉強をしっかりとしてみたいというのもありましたが、正直なところ、高校のときからの憧れの大学である慶應大学の学位が欲しくなったのです。
 学問へのあこがれが3割、慶應の肩書きへのあこがれが7割。それが正直なところでしょう。
 というのも、金沢工大大学院での勉強は私にとってはまさに血尿が出るくらい大変なもので、こんなにがんばれば、慶應通信だって卒業できるのではないかと、ふと、ある日思い立ったのです。そしてそう思い立ったら、二度と慶應通信ことを忘れることはありませんでした。
 かくして金沢工大大学院を修了した直後に慶應通信に入学しました。

 入学以降は、まさに死のロードが始まりました。
 正直なところ、慶應通信入学時には大学院を2つも出ていましたから、いくら慶應といえども学部には違いないから、そんなに苦労することもないだろうとタカをくくっていた時期もあります。
 しかし、意外や意外、レポートも試験も難しい。しかも評価も厳しい。
 初めて受けた「国語学」と「英語学概論」が、両方とも不合格になったときは、大いに不勉強を反省させられました。
 しかし、そんなことでめげる私ではありません。
 なぜなら私には慶應大学に対するものすごい学歴コンプレックスがあったのです。

 高校時代、私はどうしても現役合格にこだわっていたため、2年の半ばで私立専願にしました。当時の私の成績から言えば、国立なら神戸大や広島大、私立なら早稲田や慶應を狙ってもおかしくなかったのですが、どうも私の高校の過去の実績から言って、現役で合格する自信はありませんでした。というのも、早稲田、慶應合わせても、私の出身高校から年にせいぜい3、4人くらいしか入っていなかったのです。
 かくいう私といえば、学年で10番前後の成績だったので、早稲田、慶應をはじめから諦め、その次のグループの私立を選んだのです。
 しかし、卒業式後の同窓会で驚くことを知りました。
 私より成績が悪かった友人たちが、早稲田、慶應に通っているではありませんか。
 私の同級生で早稲田、慶應合わせて10人近く入っていたようです。
 私はこのときほど悔しい思いをしたことはありませんでした。
「せめて受けてさえいれば、もし不合格だったとしても、諦めもつくのに…」

 そういうわけで、私は「絶対に慶應大学を卒業しなければならないんだ」と言い聞かせ、ガムシャラに勉強しました。
 ありがたいことに通信教育課程は、試験に何度不合格になっても、受験するチャンスがなくなることはありません。ですから、諦めさえしなければ、いくらでも食らいついていけるのです。
 お恥ずかしい話ですが、私にも3度目に合格とか、4度目に合格という科目もありました。
 1年目の終了時点では18単位しか取れていませんでしたが、2年目に奮発し、40単位以上を取り、3年目の7月の試験で卒論以外の単位をすべて取得。
 8月下旬からは卒論一本に集中し、翌年2月には卒論諮問で合格。
 長いようで短い、短いけれど濃い慶應大学在学期間が終わりました。
 こうして私もれっきとした慶應大学卒業生となったわけです。

 入学時点では「通信生」ということを負い目に感じていましたが、卒業するころにはまったく負い目など感じなくなりました。というのも、実際、通信課程を卒業するのは非常に困難だからです。むしろ、今の入学試験は2科目か3科目できれば入学できるわけですが、通信課程を卒業しようと思えば、莫大な量のレポートを仕上げなければならず、しかも、その大半は合格することがなかなか難しいのです。実際、私のまわりの通信生にも非常に優秀な人が多かったことからも、慶應卒は慶應卒だ、通信課程だからといって劣っているわけではないんだと思うようになっていました。