●学問は最高の「暇つぶし」

 唐突ですが、あなたは、暇がふんだんに与えられると、何をしますか。

 働いている人は、定年後を考えてみてください。

 何にも拘束されない自由な時間が、朝から晩まで、一年中あるとしたら…。

 特に日本では、仕事人間こそが褒めそやされる社会で、定年退職するまでは、何から何まで会社に捧げる人が多いようですが、そのような人たちの大半は、定年退職して暇がふんだんに与えられると、何をやっていいのか分からなくなるのではないでしょうか。

 そういう人たちが真っ先に考えるのが、レジャーでしょう。
 
 レジャーに対する人々の関心は、労働で得た収入を刹那的な快楽の原理によって消費することです。

 レジャーはリクリエーションにもなるので、その点では良い面もあるでしょう。

 しかし、やはりレジャーだけでは、何か物足りないと思う日が来るでしょう。

 というのも、人間は自己実現の欲求を持っているからです。

 つまり、趣味やスポーツ、学問などを通して自己の力を発揮したくなるのが人間なのです。

 暇がふんだんに与えられて毎日毎日レジャーを楽しもうとしても、最初のうちは快感を感じていても、徐々にその快感も色あせていくでしょう。

 その点、自己実現できるものを見つけている人は、暇がふんだんに与えられると、それを自己の教養を高めるため、生き甲斐を追求するために使えるようになります。

 それは趣味でもいい、スポーツでもいい、学問でもいい。

 それを通して自己実現ができるものであればいいわけです。

 しかし、私は学問ほど素晴らしい自己実現はないのではないかと思っています。

 学問の何がいいかといえば、奥が深いことです。終わりがないのです。延々と続けていくことができるのです。しかも続ければ続けるほどおもしろみが増す。さらに様々な学問分野があるので、気分転換にもなります。

 それだけではありません。他の趣味やスポーツと比べれば、お金がかかりませんし、いつでもどこでも一人だけでできる点がいいのです。

 他の趣味であれば人数が合わなければできないとか、天候が良くなければできないとか、お金がかかってしまう等、様々な制約があります。

 その点、学問の場合、かかるのは本代くらいだし、それも図書館で借りればお金はかけなくて済む場合もあります。

 英語のscholar(学者)の語源である scholeは「閑暇」と訳されることが多いですが、単なる暇という意味ではなく、学びとか、教養という概念が含まれている言葉です。つまり、scholar(学者)とは、もともとは暇を自己の教養を高めるために使う人という意味合いなのです。

 学問を趣味にできた人は最も幸せな人、と言っても過言ではないと思いますね。いや、もちろん、他の趣味でもいい趣味はたくさんあることは認めますけれどね。