●慶應大学時代に学んだギリシャ語が…

 私は、慶應大学文学部(通信課程)時代に哲学を専攻しておりまして、卒論ではプラトンやアリストテレスなどを研究しました。

 で、当然、彼らはギリシャ語で書物を書いたわけで、立派な日本語訳は出ていますが、やはり原語であるギリシャ語を知っておいたほうがベターといえばベターだったわけですね。

 もちろん、学部レベルの研究で、ギリシャ語をマスターしていなければ卒論が認められないということではないので、ギリシャ語を勉強したくなければ勉強しなくてもいいわけです。

 しかし、私は、慶應大学を卒業したあかつきには、東大の大学院に行こうと決意していたわけで、東大の大学院の入試試験には哲学の試験があり、その中にギリシャ語の知識を問う問題もあったわけで、私は人知れず、ギリシャ語を勉強しました。

 と言いましても、ギリシャ語のアルファベットの読み方・書き方、ギリシャ語の単語を数十語覚えたのが限界でしたが。

 東大大学院の入試の結果は、予想に反して不合格でした。

 と書くと、相当なうぬぼれ屋だと思うかもしれませんが、東大の大学院は、東大と違って、比較的入りやすいのです。

 なにしろ、受験科目は英語と第二外国語と専門科目の3科目だけです。

 しかし、私は、それに不合格となりました。

 東大の大学院に入れなかった以上、慶應大学時代に学んだギリシャ語は何の役にも立たなかったと思うかも知れませんが、実は、今、役に立っているわけなのです。

 人生、何があるやらわからないもので、「こんな知識、何もならないわい」と思っていても、あれれ、こんなところで役に立つこともあるんだ、ということもないわけではないのです。

 ギリシャ語の知識が役に立っているのは、新約聖書の勉強にです。

 ご存じのとおり、(といいますか、知らない人もいると思いますが)、新約聖書はギリシャ語で書かれています。もっとも、ギリシャ語の新約聖書を読むというのは至難の業なので、英語版で読んでいますけれど、でも、原典がギリシャ語ですから、ギリシャ語を知っていたほうがいいわけですね。

 でも、ギリシャ語のアルファベットが分からないと、もうお手上げなのです。

 ということで、ギリシャ語のアルファベットだけでも、マスターしておいた甲斐がありました。

 というわけでして、人生、何があるやら分からないもので、学生時代、頑張って勉強して身に付けた知識が、意外なところで意外に役に立つ可能性がある、ということを述べてみたしだいです。

 ちなみに、次の参考書はギリシア語の初心者にお勧めの本です。