●学問と結婚

 聖書の中に次のような言葉があります。

(未婚の人は)「現状にとどまっているのがよい」(コリントの信徒への手紙1:25〜26)

「結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくない」(同1:28)

「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます」(同1:32〜34)

 独身を通したパウロは、結婚するとどうなるかを良くわきまえていたと言えます。

 パウロは「学問」ではなく「主のこと」について述べていますが、「学問」も「主のこと」も共通点はありますから、上記の1:32〜34の「主のこと」の箇所を「学問」と置き換えても、妥当するでしょう。

 実際問題として、結婚して子供もできてしまえば、子供にお金がかかるため、一にも二にも、お金儲けのことに心を遣わなければならなくなりますよね。

 何の得になるか分からないような学問に時間や労力を費やしていると、きっと妻から、ろくでなし呼ばわりされるのがオチでしょう。

 ですから、結婚してしまえば、ゼニにならない学問は、一切とまではいかなくても、ある程度諦めざるを得なくなるでしょう。

 そういうわけで、学問を志す人は、独身でいたほうがむしろいいと思いますね。

 もちろん、結婚していても優れた業績を残す人はたくさんいますし、独身を貫き通してもたいしたことのない人(その中に私も含まれますけど)もいます。

 でも、まぁ、一般的に言えば、結婚して子供ができてしまうと、よほどの大金持ちでもなければ、子供にお金がかかりますから、ある程度学問は諦めざるを得ないでしょうね。

 逆にいえば、結婚していて、かつ、学問でも秀でている人というのは、まさに脱帽ものですよね。