●複数の学問分野を学ぶ意義

 私は、この記事を書いている現在、すでに6つの大学で6つの学問分野の学位を授かっていますが、正直、まだまだ色々な分野の勉強をしたいと思っています。

 もっとも、大学で勉強するには学費がかかりますので、いつまで続けられるかは分かりませんけれど…。

 さて、こんな私を見て、「いったい何のためにそんなに勉強しているのか、お金儲けにつながるのか、勉強だけしても世の中に何の役にも立たないではないか」といぶかる向きもあろうかと思います。

 そこで、ここでは、なぜ私が複数の学問分野を学ぶことに意義を見い出しているのかを述べたいと思います。

 私は、慶應大学在学中に「環境と大学」という学際的な講義を受けました。

 学際的というのは、平たくいえば、複数の学問分野にまたがっているという意味です。

 これは極めて異質な講義で、環境問題という一つのテーマを文学者、経済学者、倫理学者がそれぞれ約3分の1づつの講義を担当し、3つの視点から環境問題の真実に迫るものでした。

 文学者は文学者の視点で環境問題を論じる。

 すると、なるほど、文学者はこういう見方をするのだなということが理解できる。それは文学的な眼から見た環境問題の一つの真実です。

 続いて経済学者が経済学の視点で環境問題を論じる。

 ところがそれは文学者の視点から見たものとはまったく異なる視点が見えている。

 さらに倫理学者が倫理学の視点で環境問題を論じる。

 これまた文学者や経済学者の視点から見たものとはまったく異なる視点が見えてくる。

 どの真実も真実なのです。講義を聞いていて、いちいち納得できるのです。そして、たしかにそうだ、間違いないと思うのです。

 ところが、一つの側面から見た真実が、別の視点から見れば、まったく異なって見えてしまう。

 それを知ったときの感激は、今でも忘れません。

 そのとき痛感したのです。

 複数の視点で見たほうが真実がより正しく見極められると。

 具体的なことは忘れてしましましたが、例えば、経済学的な視点から見れば、こうすることが最も良いと思えることがあるとしましょう。

 でも、それは倫理的な視点から見れば、けっして許されることではないということもあるし、あるいは、文学的な視点から見れば、残念なことだと思えてしまうこともあるのです。

 そのとき思ったことは、真実を見極めようと思えば、1つの視点からだけでなく、2つの視点、2つの視点よりは3つの視点のほうが、より正しく把握できるのではないかということです。つまり、視点は多ければ多いほどいいのです。

 では、1つの視点だけではいけないのでしょうか。

 いいえ、1つの視点だけではいけないわけではありません。1つの視点でも、真実を把握できれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。

 しかし、複数の視点を持つように心がければ、1つの視点から見た真実はあくまで1つの視点から見た真実に過ぎないということが分かってくるのです。ですから、それだけ謙虚になれるし、他人の視点にも敬意が払えるようになるし、その分、円熟した見識がもてるのです。

 これはあくまで私の持論に過ぎませんが、以上の理由で私はまだまだ勉強していきたいと思っているわけです。