●大昔に身につけたことが蘇る

 「証券市場論」の授業のときの話です。

 証券市場論は、ポートフォリオだのデリバティブだのと、数字や記号がたくさん出てきます。といっても数学ではありませんから、それほど難しいことが分かっていなくてもいいのですが、少なくとも微分とは何か、積分とは何か、標準偏差とは何か、どうすれば標準偏差が求められるのか、といったことは分かっていなければ、話にならないのですね。

 私は、高校を卒業してから、特段、数学を勉強したということはありませんが、大学受験のときに受験科目の一つとして勉強していたこともあり、授業中に計算問題が出されたとき、すぐに解けました。そういうわけで、「ポートフォリオ理論って難しそうな名前だけど、やってみれば意外と簡単だな」という感想を持ったのです。

 ところが、隣に座っている男性は、いつまで経っても計算が終わりません。

 先生が「分からない人は隣の人にでも聞いてやりなさい」と助け船を出すと、早速、その男性は私に聞いてきました。どうやら彼は標準偏差とは何かを理解していなかったので、計算が進まなかったようです。
 
 私が標準偏差とは何で、それがなぜここで必要で、どうやって計算すればいいのかを説明すると、一つ前に座っていた女性も聞いてきました。その女性もやはり分かっていないようでした。

 誤解しないでほしいのですが、私は自慢がしたいからこんなことを書いているのではありません。私が言いたいことは、大昔に身につけた知識で、その後一切使うことがなくても頭の片隅に残っているものであり、いざというときに使えるし、使えれば、さらに一歩踏み込んだことも理解しやすいということです
 
 もう一つおもしろい例を挙げましょう。私は30歳のときに英国の大学院に留学し、言語学を学びました。必死に勉強したものの一つに「樹系図」の書き方があります。これは繰り返し繰り返し問題を解かないとなかなか慣れるものではありません。当時の私は「こんなことを必死に勉強したところで、日本に帰れば使うこともないだろうな」と思っていました。

 さて、それから12年の歳月が流れ、私は42歳で慶応大学通信課程に入学しました。すると、驚くことに「英語学概論」のレポート課題の一部に「構造的同音異義構文の樹系図を書きなさい」というのが出たのです。

 率直な感想を述べれば、この課題は初学者にとっては非常に困難だろうと思います。まず樹系図の書き方など知っている人などそうはいないだろうし、それをテキストで独学で身につけるのも難しい。さらに、構造的同音異義構文といわれても分かる人はほとんどいないでしょう。多くの人がレポートを投げ出すのも分かりそうな気がします。

 私は「構造的同音異義構文」は知りませんでしたが、「樹系図」の書き方は英国で身につけたいたため、すぐに課題が解けたのです。10年以上も前に身につけた知識が、その後一切使うこともなかったのに、すぐさま蘇ったことに、私は心底驚きました。
 
 私の言いたいことをもう一度繰り返しましょう。大昔に身につけた知識で、その後一切使うことがなくても頭の片隅に残っているものであり、いざというときに使えるし、使えれば、さらに一歩踏み込んだことも理解しやすいのです。
 
 言い換えれば、勉強した知識が、将来、いつ、いかなるときに、どのような形で、必要になるかも分からないわけですから、「こんなことを勉強しても何の役にも立たないだろう」と決めつけないほうが自分のためだということです。