●無用の長物の効用
大学では仕事に直結する技能を教わることはほとんどありません。
哲学にしても神学にしても文学にしても数学にしても経済学にしてもその他多くの学問分野にしても、仕事に直結するようなことはあまり教わらないわけですね。
いわば、無用の長物にしかならないようなことばかり教わっているわけです。
哲学の例でいえば、神の存在は証明できるのかとか、美とは何かとか、死後の世界はあるのかとか、幸せとは何かとか、そのようなことを延々と研究したからといって、お金儲けには直結しません。
多くの人にとって、そのような何の得になるか分からないようなことに延々と時間と労力を割くことは困難なことです。
ですから、そんなことよりも手っ取り早く快感が得られるもののほうに流れる人が多いわけです。
私は様々な職場を経験しましたが、周りの人たちはよくこんなことを言っていました。
「今の大卒は使いものにならない。いい大学出てても、仕事ができるかどうかは別だ」
「高卒や専門学校卒でも優秀な人はいっぱいいるよ。○○さんは高卒だけど英検1級持っているよ」
「大学で学んだことは社会では全く役に立たなかった」
では、そういう人が採用に当たって、学歴を気にしないかといえば、けっしてそんなことはなくて、むしろ大いに学歴を気にしているらしいです(後述の鷲田氏の観察によります)。
ということは、多くの人は大学教育は無用の長物だといいながらも、その効用を認めているということですね。
大学教員である鷲田氏は、多くの若者とつきあった経験から、「ともかくも大学を出た子と、優秀だが大学に行かなかった子とを比較すると、大学でほとんど勉強しなかった子でさえ、大学に籍を置いたというだけでも、スタンスの取り方や構えが、分かるほどに、大きめである」と述べています。
私も鷲田氏の言うとおりだと思うわけです。そう思う理由を個人的な例をあげて説明しましょう。
私は大学で「知的財産権」の科目を履修しました。知的財産権とは、具体的には、特許権、実用新案権、意匠権、商標権、著作権のことですが、その分野の仕事に就かなければ、その知識はまったく役に立たないように思えます。
しかし、一度でも知的財産権を勉強してさえいれば、何かいいアイデアが浮かんだときに、「これ、もしかしたら特許申請できるのではないか」という発想が出てきやすいわけです。もちろん特許申請しても、すぐに商品化できるわけではありませんが、それはともかく勉強してさえいれば、そういう発想が出てきやすいわけですね。
逆に、知的財産権を勉強したことがない人は、たとえ莫大な富を生む可能性があるアイデアを思いついたとしても、埋もれたままにしてしまいがちだと思います。というのも、特許申請してみようという発想が出てきにくいからです。でも、それは非常にもったいないことではないでしょうか。
ここでは知的財産権の例をあげましたが、その他の分野にしても、一見、無用の長物としか思えないようなことであっても、20年とか30年とかといった長いスパンで見ると、意外と役に立つ機会はあると思いますね。
もちろん、これは私の個人的な意見にしかすぎないので、「大学教育は無用の長物にしかすぎず、何の役にも立たない」と思う人は、そう思ってくださっても全然かまいませんけれど。
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