●英語を学ぶ意義 

 聖書を読んでいると、次のような文がありました。

 この箇所って、一読して、その意味がわかるでしょうか。

イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ』。すると、羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ」(マタイ26)

 この短い文の中でも、あれれ、と思う箇所ってありませんか?

 「わたしにつまずく」ってどういう意味?  

 「わたしは羊飼いを打つ」の「わたし」って一体誰のこと?

 「わたしは羊飼いを打つ」の「打つ」って「うつ」なの「ぶつ」なの? いったい何をするの?

 「と書いてあるからだ」って、何に書いてあるの?

 こういった疑問が湧いてきませんか?

 しかし、同じ個所はある英語訳では次のようになっています。

Jesus said to them, "This very night all of you will run away and leave me, for the scripture says, 'God will kill the shepherd, and the sheep of the flock will be scattered.'

英語訳を読めば、上記の「私につまずく」の箇所は、「私から逃げ出す(you will run away and leave me)」であり、「私は羊飼いを打つ」の箇所は、「神が羊飼いを殺す('God will kill the shepherd)」であることが分かります。

 この英語版を読めば、上記の箇所は、

イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆、私から逃げ去るだろう。というのも、聖典に『神は羊飼いを殺し、羊の群れは逃げ散らかす』と書いてあるからだ」 

 という意味なのだということがわかるわけですね。

 新約聖書はもともとはギリシャ語で書かれたものであり、それが様々な言語に翻訳されたわけですが、日本語だけしか読めない人だと日本語訳でしか解釈するしかないですよね。それに対し、英語ができれば英語訳も参照できるので、それだけ正確に読める確率が高まりますよね。

 今回は、新約聖書を取り上げましたが、英語が原典のものであれば、その原典を直接読むことができれば、そもそも誤訳自体がありえないことなので、著者の言いたいことがより正確に読めるわけです。

 そういう意味で、外国語(特に英語)は世界を知るための窓(といったらちょっと大げさかもしれませんが)というのが私の考えなのです。

 もっとも、「英語なんかできなくてもいい。翻訳されたものを読めばいくらでも海外の文献を読むことはできる。すぐれた翻訳者はたくさんいるし、重要なものはだいたい翻訳されている」という考えの人には、私の考えを押し付けるつもりはありませんけれどね。