覚書を求めてみると…
 
 ある出版社の話です。

 この出版社も、他の例にもれず、仕事の依頼をするときに、自分らからは条件(印税や原稿料など)を一切口にしませんでした。

 条件についてこちらから尋ねると、歯切れの悪い言い方で、次のように答えました。

「ウチは、翻訳書の場合、6から7なんだよね」

 まあ、だいたいこういう場合、最終的に6%に落ち着くでしょう。本当は7%であることなど滅多にないのでしょうが、6%といったら仕事を引き受けて貰えない可能性があるので、仕事を引き受けて貰えるように6から7と含みを持たせて言っているのです。

 最初の翻訳書を依頼されたとき、条件を聞いてみると、やはり歯切れの悪い言い方で、

「この本は、それほど厚い本というわけでもないですから、今回は6ということで…。ご了解いただけますか」
 
 と打診してきました。

 私は、了解はするが、覚書を出してもらえないかと言いました。すると、

「あっ、ウチは支払いは心配しなくて大丈夫です。ウチには覚書なんか求めるような人は一人もいませんよ。みんな、信頼関係でやっていますから」

 といって激しく拒絶したのです。

 当時の私は何が何でも次々と実績を作っていかなければなりませんでしたから、6%という条件だけ聞いて、口約束だけで仕事を引き受けざるを得ませんでした。

 そんなある日のこと、その編集者から、ゴーストライターの仕事の依頼を受けました。たいそう焦っているみたいで、何が何でもすぐにやってほしいとのことでした。これも電話で口約束だけで、40万円で引き受けてほしいと言ってきました。

 10日間くらいで出来る仕事で40万円になるのなら、けっして悪い条件ではありません。私はこれも口約束だけで引き受けました。

 ところが、原稿を提出する直前にその編集者は代金の値切り交渉をしてきました。

「この前、40万円とは言ったけれど、ちょっと高すぎる。悪いけれど、ちょっと引かせてもらっていいか」

 私は、それはダメだと言いました。しかし、ぐだぐだと値切り交渉は続きました。

 結局、その場では話し合いはもつれたままになりましたが、これでは翻訳書の印税6%も値切られるのではないかと不安になりました。そこで私は、自分で覚書を作成して、印だけ押してもらえるようにして、打ち合わせでその出版社を訪れたときに、覚書に押印を求めました。

「やはり口約束だけだと、この前のゴーストライターの件のように後になってからトラブルになる可能性があるので、今私が取り組んでいる翻訳書の覚書を作ってきました。印だけでもいいので押してもらえませんか」

 するとその編集者は怒るような口調でこう答えました。

「ウチにはね、覚書を求めるような人はいないんだよ。あなただけだ、こんなもの作ってくる人は。ゴーストライターの件は、仮に引かせてもらったとしても、その引かせてもらった分だけ、翻訳書の印税を6から7に引き上げることで調整しようと思っていたんだ。だって、合計で、二つ合わせて貰う額が一緒だったらいいんだろう? え?」

 ゴーストライターの代金を値切った分を翻訳書の印税を上乗せすることで調整? そんな話など一切聞いていませんでした。
 
 結局、覚書に印は貰えませんでしたが、私がこうやって詰め寄ったことで、ゴーストライターの報酬は約束どおり40万円支払われ、翻訳書の印税は6%支払われたのでした。

 この出版社の例にように、覚書を頑なに出そうとしない出版社があるものですが、やはり口約束だけだと、約束が反故にされる可能性もありますので、ときには私のように覚書を求めてみるといいかも知れませんね。