●学問をする意義

  学問って、学校に在籍しているときだけやっておけばいいことでしょうか。学校をいったん卒業してしまったら、あとは無理してやることでもないことでしょうか。

 この質問に対して、人それぞれ思うところは違うでしょう。

「学問なんて何の足しにもならない。世の中で一番大切なことは金儲けだ。金儲けにつながらない学問なんて何の意味もない」

 という人もいることでしょう。

 しかし、私は学問は人間ならだれしも一生涯続けるべきだと思います。

 事情が許す範囲で、という条件付きですが。
 
 それが理性を与えられた人間の義務だと思っているのです。権利ではなくて義務です。
 
 では、学問とは何で、学問をする究極の目的は何でしょうか。そして、なぜそれが人間に課せられた義務なのでしょうか。

 まず学問とは何かですが、これは一言でいえば、真理を追求することといえるでしょう。私たちはすべてのことを知り尽くしているわけではなく、まだまだ知らないことだらけです。

 どんなに偉い人であっても、すべての真理を知り尽くしている人はいません。この世はまだまだ謎が多く、解明されていないことだらけです。それを解明するのが学問の役目です。
 
 つまり、学問の究極の目的は、この世の謎を解明することなのです。
 
 では、なぜそれが人間に課せられた義務なのでしょうか。
 
 人間は動物と違って理性を与えられています。理性を与えられているということは、私なりに言い換えれば、より良く生きるようとすることが義務づけられているということです。
 
 これは理性を与えられていない動物と比べればよく分かることでしょう。動物は本能にしたがって生きていればいいわけで、より良く生きようとする義務はないのです。

 というより動物はより良く生きようとすることとは何なのか分かりません。だから、本能の赴くまま他の動物を悔い殺しでもとがめられないわけです。

 それに対し、人間は理性を与えられているがゆえに、人間として生きる以上は少しでも良く生きようとすべきなのです。
 
 しかし、本能が命じるまま盲目的に生きていてはより良く生きることは不可能です。そこで必要になってくるものの一つが学問なのです。
 
 つまり、学問が人間に課せられた義務であるというのは、言い換えれば、より良く生きようとすることが人間に課せられた義務であるということです。