印税引き下げ事件その2
 
 覚書さえ出して貰っていたら絶対に大丈夫かといったら、実はそういうわけでもないのです。

 というのも、覚書というのは、本が出版された場合、印税がどう支払われるかといったことが簡単に記載されているだけの場合が多く、もし出版が中止になったらどうなるのかまでは記載されていないからです。また、出版中止をちらつかせて、印税率を引き下げるということをする嫌らしい出版社もあるからです。

 ある日、某社から電話があり、翻訳書を出版したいから打ち合わせに来てほしいと頼まれました。初めてのおつきあいをする会社から翻訳書のオファーがあったので、喜び勇んで行ってみました。

 打ち合わせは私1人に対し、編集長と担当者の2名。すでに翻訳権は取得されており、2人とも「絶対に売れる」と太鼓判を押していました。どうやら、当時、ベストセラーになっていた翻訳書を真似た本を作りたいという趣旨で、原書もそのような感じの原書でした。

 私は、まあ、頼まれているわけだし、翻訳権も取得されているわけだし、しかも覚書も出してくれるということだったので、安心して仕事を引き受けました。そして実際、覚書も送ってくれました。
 
 翻訳原稿が5分の1できあがるごとに原稿を出版社に送るという合意のもと、私は仕事を開始しました。

 私は5分の1の原稿ができあがったとき、ふと、不安になりました。出版社はベストセラーになった翻訳書を真似た本を作りたいと言っていたが、どうも、真似た本にはなりそうもなかったのです。

 そこで、電話をかけてそのことを伝えたのですが、編集者は、こういうばかりです。

「その辺のことは編集でどうにでもなりますから心配はいりません。安心して翻訳作業を進めてください」

 私は、(まあ、覚書も出してもらっていることだし、大丈夫だよな)と自分で自分に言い聞かせて作業を進めたのでした。
 
 こうして原稿をすべて提出したところ、何ヶ月経っても、出版社から何の連絡もありません。4ヶ月くらい経ってから私のほうからメールで問い合わせてみると、なんとなんと、驚く内容が書かれたメールが届きました。

「翻訳原稿を何度も読み返してみましたが、この本ではどうも商売にならないのではないかと考えています。一度、編者までご足労をお願いしたい」

 私はカチンと来ました。出版社のほうが「これは絶対に売れるから」という理由で翻訳を依頼しておきながら、すべての原稿があがってから、「この本ではどうも商売にならない」と言っているのです。だから私は、5分の1づつ原稿を出している最中に、本当にこの本でいいのか確認していたのです。

 私は、出版を中止にしたいという相談なら、貴社のほうから私の家まで来るべきではないか、翻訳原稿だけではおもしろみがなくて売れる原稿にならないと思っているようだけど、図を入れたり、グラフを入れたり、色々な見せ方もあるのではないか、そういう努力をしているのか? といった趣旨のメールを送りました。

 恐れおののいたのか、すぐさま編集長から電話があり、「翻訳書は出版する」と言ってきました。

 それから数ヶ月、何の連絡もありませんでしたが、驚くことに、ある日、編集長から、翻訳書が出版間近であることが伝えられ、一度、打ち合わせに来て欲しいと言われました。

 私は初校ゲラもチェックしていないのに、そんなことがあるのか? と不思議に思いましたが、何はともあれ出版になるのなら喜ばしいことです。

 ところが出版社に出向いてみると、その編集長はネチネチと私を責めまくりました。ここに誤訳があった、ここの表現は読みにくい…。私は驚きました。通常は初校ゲラ、再校ゲラ、三校ゲラと進めていくうちに、色々手直しをするものです。ところが、その出版社はすでに勝手に最終ゲラまで作っていたのです。そしてこんなことを言い出しました。

「あなたの提案どおりに図や表を入れましたよ。それで金がかかった。しかも翻訳原稿の手直しを専門家にお願いしたから、さらに金がかかったんだ。覚書では7%という約束だったが、5%にしてもらわないとな…」

 私は、それならそれで事前に私に相談してくれれば良かったのにと思いました。私に何の相談もなく、初校ゲラも見せずに、勝手に進めておいて、最後の最後で「金がかかったら、印税を下げさせてくれ」というのは…。
 
 ただ、出版社のやりかたはまずいとは思いましたが、実際、お金もかかっていそうだったので、ここは5%で折れました。このように覚書を出してもらっていたとしても、印税率が引き下げられることもあるのです。

 ですから、覚書を出してもらってさえいれば大丈夫だと安心することなく、依頼された翻訳書が本当に無事に出版されそうなのか、翻訳者側でも事前によく吟味してから受けなければなりません。出版社からの依頼だからという、ただそれだけの理由では、出版中止になりかねないし、出版中止をちらつかせて印税率を引き下げられることもありゆるのですから。