●卒論が書ける人、書けない人

 今ではブログというものがあるので、大学の通信教育で学んでいる人の様子がある程度はわかるようになっています。
 
 さまざまな人のブログを見ていて思うことは、彼らは2種類に大別されるということです。
 
 それは、卒論を書ける人と書けない人です。
 
 書ける人なら問題ないのですが、書けない人が卒論が必須となっている大学に入学した場合は問題となります。

 書けない人は、「卒論を書かなければ…」といういことを何度もブログに書いているのですが、その後、ブログが途絶えてしまっています。もう何年も更新されていないのですから、卒論が書けなくて中退してしまった可能性が高いでしょう。
 
 もちろん卒論が書けない人を非難するつもりはありません。人それぞれ事情があることでしょうし、卒論が書けないということが、即、非難されることではないからです。
 
 ただ、せっかく入学してがんばって勉強してきたのなら、卒論を書いて卒業したほうが本人にとっても望ましいことでしょう。
 
 では、卒論が書けない理由はなにでしょうか。
 
 英語で be able to write といえば、書く知識がある、書く実力がある、書く時間がある、など時と場合によってニュアンスは違った意味をいいますが、卒論が書けない人は書く知識も実力も時間もあるのではないかという気がします。

 つまり、英語で表現すれば、I am able to write, but I can not.という人たちでしょう。

 ではそのような人たちには何が欠けているのでしょうか。

 答えは、決意です。

 書く知識もある。書く実力もある。書く時間もある。たけど、なぜだか書けない。こういう人たちは決意が欠けているのです。

 書こうとすると、心の奥底で、「そんなこと書いてもうまくいかないんじゃないか」という声がしてくるのでしょう。それでいつまで経っても書き始められないまま、ずるずると時間だけ過ぎ去っていくのです。

 I am able to write, but I can not.という人が書き始めるには、心の奥底の声を打ち破らなければなりません。

 いっそのこと、書いてもダメならダメでもいいという気楽な気持ちで書き始めるといいかもしれません。そうでもないと、ずっと書けないまま時間だけが過ぎ去っていきます。