印税引き下げ事件のその後4 

「この本、どうしましょうか?」
「どうしましょうかって、何がですか?」
「いや、だから、この本はね、このままの状態では出せないでしょ? 日本人にはわからないような特殊な話が多いし」
「それはたしかにそうかもしれませんが、でもそれは私の責任ではないと思うんですが。私は原文に忠実に訳しただけなんですから」
「う〜ん、だから、相談しているんですよ。どうしましょうかって。宮崎さんに幾ばくかのお金を払ってこの本をお蔵入りにするか、それとも日本人にはわかりづらいところをどうにかしますかって話ですよ」
 聞いていて非常に腹が立ってきました。そもそも内容がいい本だからぜひ出版したいから訳してほしいと依頼してきたのは出版社のほうなのです。なのに、訳文をすべて受け取った後になってから、期待した内容ではなかったという理由で出す・出さないという話を持ち出すのは単に出版社側の都合です。こんなことなら、私のほうも4分の1づつ訳文ができあがった段階で提出しているのだから、なぜもっと早く言ってくれなかったのか。それに「幾ばくかのお金を払ってお蔵入りにする」とは何だ。ちょっと期待はずれの内容だったといってそんなに簡単にお蔵入りにすることなど考えるのか。
 私は怒りを抑えに抑えて言いました。
「固有名詞の部分は、例えば、日本人になじみのない自動車の名前だったら、思い切って『外車』と一般名詞にして訳してもいいと思いますし、話自体がわかりにくいところは多少削るとかすれば読みやすくなると思いますが」
「じゃあ、そうします? それでもいいですよ」
 編集者のなげやりな返事にはあきれるばかりでしたが、私としてはすでに莫大な時間と労力をかけて翻訳しているわけですから、お蔵入りされてはたまったものではありません。しかも、「幾ばくか」のお金ですべてが済むと思っている自体、私には許せないことです。
 その後、私は知り合いの2人の人にお金を払って、私の訳文の中で日本人にはわかりづらい箇所を指摘してもらい、一般名詞に置き換えたり、削除するなどして推敲に推敲を重ねました。その間も、お蔵入りにされる不安がずっとつきまといましたが、やるだけのことをやるしかありませんでした。私も必死でした。
 苦労の甲斐あってか、日本人にも読みやすい内容になり、お蔵入りという話は消えましたが、その後編集者の手によってさらに多くの部分が削除されました。ただ、それでも出版されるのであれば私としては満足です。
 順調にゲラチェックも終わり、いざ出版というときに編集者から電話がかかって来ました。編集者はまたまたとんでもないことを平気な口調で言ってきました。
「印税6%って約束だったじゃないですか」
「ええ」
「で、今、原価計算をしているんですけどね、6%で計算すると定価をかなり高くしなければならないんですよ。でも、この本って大幅に削っちゃったので、かなり薄い本になるんですね。で、定価を抑えようと思ったら、どうしても4%になっちゃうんですよね。それでいいですかね」
「それは約束がちがうじゃないですか。私は以前も印税を削られたことがあるんですよ、また削るっていうんですか。そんなこと認められませんよ」
「いやいや、私はね、宮崎さんのためを思って言ってあげているんです。今は定価が高いと売れないんですよ。だけど定価を安くすればそれだけたくさん売れるようになります。そしてたくさん売れれば、宮崎さんの印税も増えるでしょ、ね? だからこれは宮崎さんにとってもいい話なんですよ」
「そんな弁解は聞きたくないです。私の印税を増やしたいのなら、なぜ初版印税を下げようとしているんですか? 『宮崎さんのためを思っていっている』とおしゃってますが、実は自分たちにとって初版印税を削ったほうが都合がいいからそう言ってるだけなんじゃないですか?」
「それはちがいますよ」
 延々と話が堂々巡りしそうだったので私は最後の切り札を出してしまいました。
「なら、裁判所で調停という形でお話ししませんか?」
 「裁判所」という言葉を聞いた相手も驚いたような声でこう言いました。
「いやいや、なにもそんな裁判所でなんて・」
「だって、納得がいかないんでしょ? だったら、裁判所で調停委員の先生がたに双方の意見を聞いてもらいながら、きちんとお互いが納得するまで話しあったほうがいいんじゃないですか? 何も裁判をしようといっているのではなく、単に話し合いましょうと言っているだけですよ。なにか都合の悪いことでもあるんですか?」
 すると相手はすんなりと印税を引き下げるという話を引っ込めてきました。
「いや、なら約束どおり6%でいいです」
「え? いいんですか?」
「ええ、まあ、そこまでおっしゃるのなら、最初の約束どおりで行きましょう」
 「裁判所」というキーワードはかなり相手に衝撃を与えたようです。こうして約束どお6%の印税は守られたのでした。
 フリーの立場は弱いのです。不誠実な出版社はなんだかんだ言いながら約束していた印税を引き下げにかかります。しかし、負けてはいけません。安易に印税引き下げに応じていると、出版社を「都合が悪くなったらフリーに泣いてもらったらいい」とつけあがらせることになります。約束は破るほうが悪いわけですから、きっちり守ってもらいましょう。